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院長の思うこと

音楽と私

愛知県獣医師会の月刊紙に「紫苑」というものがあります。

その中に、「わ・わ・わ(話・輪・和)」通信という、会員が順につながって、自由なことを書くコラムがありまして、令和5年3月号に、私のつたない文章が掲載されましたので、

その一部を、ここに載せたいと思います。

私の音楽好きなことを書かせてもらいました。


 臨床部会一宮分会の先生から受け継ぎました同じ一宮分会の中越浩二と申します。

この原稿を書いているときは、両目の白内障の手術を受けたばかりで、充血した目をしょぼしょぼさせながら書いております。まとまらない文面になりますことをお許しください。

 私は小学校4年生の時、音楽室に飾ってあったモーツァルトの肖像画に惹かれ、そこからクラシック音楽に興味を持ち、もう50年近く取りつかれたようにハマっております。

 CDも事情があって手放しましたが3,000枚以上持っていた時もありました。

 コンサートにも若い時から足を運び、カラヤン指揮ベルリンフィルでブラームスを聴いたことは一生の思い出です。チケット代のため家賃1カ月分を延滞してしまいましたが。

その後も小澤征爾指揮ウイーンフィルやマリス・ヤンソンス指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など多くの素晴らしいコンサートを聴いてきました。これからも、その欲求は止まりません。

 子供の時は、私は音楽家とくに指揮者になりたくて音楽を勉強したかったのですが、両親は演歌にしか興味がなかったため、私の希望を全く聞き入れてもらえませんでした。

 何とか楽器をやりたいと思い、中学2年生の時に、貯めた小遣い3万円をもって岐阜の大きな楽器屋へ行きました。「オーボエをやりたんですけど」と店員さんにたずねたところ、「オーボエは20万円以上するよ。そこにある展示品で変色しちゃったフルートなら3万円で譲るよ」。

 私とフルートのなんとも切ない出会いでした。ヤマハの一番安価なモデルで洋銀製のフルートでした。

 そこからぴーぴーぱーぱーの始まりです。騒音以外のなにものでもありません。両親や近所の人には大変迷惑をおかけしたと申し訳なく思っております。

 あれから43年、飽きずに騒音を出しまくっていますが、40歳の時、もうこれ以上は上達できないと思い、やめかけたことがありました。しかし一度は先生について習い、それでもダメなら諦めようと先生を探しました。幸運にも音楽大学卒の優秀な先生と出会うことができ、気づいたら、結局8年間師事することになりました。毎週エチュードを仕上げて持っていくという地獄のような日々でしたが、不思議と本業の方も充実していたように感じています。

 今感じるのは、音楽に限らず、仕事でもなんでも、人間はいつからでも上達することができるのではないか。また、仲間や師匠の存在がとくにその上達に影響するのではないかということです。

 確かに年をとって体が自由にならないことはありますが、まだまだ成長できると信じて、ゆっくり歩んでいきたいと思っております。


たんぽぽ動物病院 flute
音楽と私



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