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院長の思うこと

生の無条件肯定と死の絶対否定

 人や動物は、生まれた時から死に向かって歩んでいるのであり、必ずいつか死を迎えます。死なない人や動物はいません。死亡率100%です。臨死体験した人はたくさんいますが、完全に死亡してから蘇ってきた人はだれもいませんよね。

 これが至極自然なことですけれども、どうしても死は忌み嫌われます。

 なぜなら、死んだらどうなるのか、死ぬのは苦しいのか、死後の世界はあるのかなど、死とはいったいどういうものなのか?

 心臓が止まる、呼吸が止まる、瞳孔が開く、脳波が無くなるなどの身体の現象は分かっているのですが、意識つまり魂がどうなるのかが科学的に全く分かっていないからでしょうね。

 深い暗闇に引き込まれていくのではないかという恐怖感に付きまとわれて当然でしょう。

 患者さんは、死が怖いから死にたくない。ご家族や飼い主さんも、大切な家族や動物を怖い死の世界に行かせたくない。

 一方、医師や獣医師は、私の偏見かもしれませんが、患者さんや動物が亡くなることは、自分の敗北感につながり、医師や獣医師として否定された様な気持になると思います。

 少しでも患者さんや動物を長く生かせることが自分の力量であり、正義だと思ってしまうのではないでしょうか。

 それゆえ、病院や動物病院では、少しでも長生きさせるために、たくさんのチューブをつなぎ、たくさんの機械を使って治療します。

 まだ若い人や動物、治癒する見込みのある病気ならとても価値のあることです。

でも末期のガン患者さんや超高齢の患者さんならどうでしょうか?

 死を間近かにした患者さんを無理やりに長生きさせる。

 死なせないという行為。

 患者さんからしたら、死なせてもらえないということになってしまいます。

 表題に書いたように、生の無条件肯定と死の絶対否定ということになってしまいます。

 結果どうなるか。

 ある医師が書いた本によると、死ぬ間際の点滴は、場合によっては患者さんを溺死させるのに等しく、酸素マスクは上品な猿ぐつわであり、胃ろうは生ける屍への第一歩だと言っています。

 私は、町獣医として、治る見込みがある病気には積極的には取り組みますが、末期がんや高齢の動物には無理な治療をしようとは思いません。

 残された人生を、安心できる場所で大切な飼い主さんと一緒にできるだけ快適に過ごさせてあげることが一番の仕事であると思っております。


老齢犬
生の無条件肯定と死の絶対否定

1 Comment


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chomu T
chomu T
Jun 03

先月22日に10才になった愛猫を腎不全で亡くしました。

最期の日の状態はとても悲惨で、朝から何度も悲鳴をあげながら繰り返す吐血と下血(タール便)、苦しそうな口呼吸。

起きているのもやっとな状態なのに、それでも最後までトイレまでは歩こうとしていました。


息をひきとる瞬間はひたすら嘔吐を繰り返し、どんどん瞳孔が開いていって痙攣した後に動かなくなりました。


「もしかしたら奇跡的に回復するかもしれない。1分1秒でも長く生きていて欲しい」

という私の身勝手なエゴから強制給餌と補液を続けた結果、あの子の“苦しい時間”を延ばしてしまっただけだったという後悔と申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいです。


ただ、この経験をしたからこそ、私の中に“早めの安楽死を選択する愛情”という考え方ができました。


うちは多頭飼いで、まだたくさんの猫が暮らしていますが、一番若い子でも推定8才、一番上の子は15才で乳腺腫瘍があります。


ただ“死んでほしくない”と無理な延命をするのではなく、この子たちの最期の時間を“どうしたら穏やかに過ごさせてあげられるか”を考えていきます。

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