院長の思うこと

自分の立ち位置を決めるむずかしさ

若い頃、アメリカのフロリダ大学で眼科の勉強をする機会に恵まれたことがあります。

ちょうどアトランタオリンピックの年です。ずいぶん昔ですね。

アトランタの空港がにぎわっていたのを覚えています。


獣医眼科の専門医を目指す獣医師たちが集まるコースで世界中から参加していました。

授業や実習は当然英語なので、チンプンカンプンで、ひたすら耐えるしかなかったです。

ヨーロッパから来ていた人たちは、何不自由なく英語を話すことに驚かされました。

皆イングランドで勉強したと言っておりました。うらやましい限りです。


その中で、自分の無力さや劣等感にさいなまれ苦しんでいるときに、ちょうど体育学部に留学されていた東京都立大学の講師の先生と知り合いになることができました。

先生は奥様と一緒に来られており、ご自宅に招いていただき、奥様の手料理をご馳走していただく機会がありました。

その時、先生に、アメリカのレベルが高すぎること、自分にはハードルが高すぎること、自分の無力さを感じていることなどを相談させていただきました。

先生は優しく、「何もトップを目指す必要はないんだよ。世の中はピラミッドのような構造になっている。どこのパーツが外れてもピラミッドは成立しない。自分の居場所や役割は、このピラミッドのなかに必ずあるんだから、自分にできる仕事を一生懸命にやるだけでいいんだよ」と教えていただきました。

もう25年以上前の話ですが、強烈に心に残っています。


世の中競争社会です。

獣医の世界でも、動物病院が乱立し、自分の動物病院の存在感が薄れていくのを感じています。

そんな中、自分の病院の立ち位置はどこにあるのだろうと考えさせられます。

良い動物病院とは何でしょうか。

口コミサイトの高評価でしょうか。

最先端医療ができるリッチな病院でしょうか。

そもそも病院の使命って何でしょうか。


今の人の病院も動物病院も、「生の無条件肯定と死の絶対否定」に陥っていないでしょうか。

患者さんを少しでも長く生かせるために全力を注ぐ。

一見素晴らしい感じがしますが、患者さんによっては、チューブだらけで死なせてもらえないことになるのも事実です。

死に関しては、またいつか書きたいと思いますが、病院の使命には、治る確率が高い病気には積極的に治療を行うのは当然ですが、特に終末期においては、生命の尊厳を尊重しつつ楽に逝かせてあげられるよう努力することも、そのひとつだと思います。


現在飼育されている犬の高年齢化が問題になっております。

それに伴い癌に遭遇する機会が多くなっています。

獣医なら皆、抗がん剤を使ったり、難しい手術をこなしたり、放射線治療をしてみたいものだと思います。

私も、抗がん剤や大きな手術を少しながらやってきましたが、結果的に寿命を短くしてしまった苦い経験もしてきました。


これらから私の立ち位置というのは、ピラミッドの底辺かも知れませんが、あくまで町医者であり、自分ができない治療や先端医療を望まれる方には提携病院を紹介し、自分のできる範囲で動物たちを治療し、終末期においては、延命というよりは、おうちで質の良い生活を家族とともに過ごしてもらうことを目標として、敷居の高くない動物病院を目指すことだと感じています。


たんぽぽ動物病院 猫
自分の立ち位置