生命観の違い?
- nakagoshi7
- 6月6日
- 読了時間: 3分
いつもブログを更新したいといつも思っているのですが、なかなか考えがまとまらず焦っているばかりです。
なぜ考えがまとまらないのかを考えたら(おかしな表現ですね)、そこには高度に発達した情報システムが関与しているのではないかと思うようになりました。
一昔前までは、分からないことがあれば、何冊も本を引っ張り出し、該当する部分を見つけては、あれやこれやと考えたものです。
でも今は、スマホにキーワードを入力または話しかければ、すぐに答えが出できます。AIの機能は目を見張るものがあります。
ある程度その情報に従えば何とかなるケースが多いことは事実です。とても便利であり有効で無駄な時間が省けます。
でも、これらの情報は、他人が調べたものや、考えたものであり、必ず正しいものではない可能性が十分にあります。
ただ鵜呑みにするだけなら、自分は考える人間ではなく、検索するだけの機械人間になってしまいます。
それが、今の私にも蝕んできているのではないかと思うようになりました。
私は、診療に行き詰ったときに、アメリカではどうしているのかをよく調べることがあります。しかし、調べれば調べるほど違和感を覚えることがありました。
うまく表現できませんが、動物に対する生命観の違いみたいなのがあるのではないかということです。
それは、治療面だけでなく経済面の理由からも安楽死という表現が選択肢のひとつとして記載されていることが多いこと、割と副作用が多い薬でもFDA(食品医薬品局)が承認しているように思うこと、さらに、これは私が実際に見たことですが、アメリカの大学病院では、診療対象動物が、小動物、大動物(馬)およびフードアニマル(牛など)に分かれており、動物にもヒエラルキーが存在しているように思われたことです。
一方で、シェルターメディスンなどの動物愛護も進んでいるのもアメリカなのが不思議な感じがします。
アメリカは、やはり獣医学も進んでおり、専門医制度も充実しています。そこから発せられる情報は大変有意義なものです。
専門医集団からのコンセンサスや各学会からのガイドラインは治療の基本になります。
ただ、ここで気を付けなければならないのは、先ほど書きましたように、ちょっと副作用が強いかなと思われる薬が承認されていたり、治療のガイドラインの中にもリスクの高いものが優先されていたりと動物に対する生命観の違いを感じることがあります。
日本で使われている動物用医薬品のほとんどが外資系薬品会社のものです。
情報の入手が便利になったからこそ、多方面から薬剤や治療法を吟味し、日本の動物たちに適合するかどうかを十分に考えなくてはならないと感じているこの頃です。
